グラミー賞アーティストブルーノ・マーズの振付師、ラッパー、ダンサーとして活躍する フィル・タヤグ(Phil Tayag)をご紹介!
フィル・タヤグってどんな人?
PROFILE
名 前 | フィル・タヤグ |
英 語 | Phil Tayag |
愛 称 | SB / swagger boy |
誕生日 | 1984年10月9日 |
出 身 | アメリカ カリフォルニア州サクラメント |
身 長 | 約173cm |
インスタ | @swagpitt |
フィル・タヤグはカリフォルニア州サクラメントで生まれ、8歳の頃からダンスを始め、10代の時に友人のケヴィンとジョーと一緒に「3 Mskee (スリー・ムスキー)」というヒップホップグループを結成し、各地を回ってパフォーマンスをするようになります。高校に進学したものの「自分のやりたい事だけしかやりたくない」と、ダンスに打ち込む毎日を送っていました。
「僕たちのスタイルは、ヒップホップにポップやコンテンポラリーなど様々なスタイルをMIXさせています。僕たちが育ったサクラメントは北カリフォルニアと呼ばれていて、様々なカルチャーが重なり合う文化間の狭間にあります。西海岸でありながら西海岸のスタイルに属することがなかったことで、自分達のスタイルが自然と確立されていったんだと思います。」
フィル・タヤグ インタビュー
ダンスチーム「ジャバウォッキーズ (Jabbawockeez)」で活躍
10代の時に友人のケヴィンとジョーと一緒に結成したヒップホップグループ「3 Mskee (スリー・ムスキー)」は活動を続けている内にメンバーが11名に増え、チーム名を「ジャバウォッキーズ(Jabbawockeez)」と改名することになりました。その後、2008年に人気のダンスバトル番組「America‘s Best Dance Crew シーズン1」に出場することが決定。番組に参加できる人数が最大で7名だった為、11名の中から7名を選出して番組に出場することになりました。
ジャバウォッキーズはグループ全体のパフォーマンスを楽しんで欲しいという想いから、全員が白い手袋とマスク姿で踊っています。その奇妙な見た目と確かなダンス技術が審査員や視聴者を引き付け、番組放送開始からジャバウォッキーズは快進撃を続け見事優勝!この番組で一躍有名になったチームは有名企業と契約を次々と結び、様々なイベントやコマーシャルに出演、そして人気のダンス映画「Step Up2 : The Streets」にも出演しました。
その後もジャバウォッキーズの人気は衰えることなく、2011年にはラスベガスにあるMGMグランドホテルで常設ショーを行うことが決定し、これまでに約11年間、延べ100万枚以上のチケットを売り上げ、ショーは大成功を収めています。この功績が認められ、先日2025年まで契約が延長するとMGMより発表されました。
ブロードウェイと同じく、ラスベガスのショーも人気が出なければすぐに契約が切られてしまうというシビアな世界で、ダンスバトル番組出身のダンサーがこれほどまでに成功を収めたケースは他にないのではないでしょうか。現在、フィルはチームからは脱退していますが、ジャバウォーキーズのCEOとして今でも携わっています。
「最初はただ地元で踊っていただけの僕たちが成功していくにつれて、両親や周りの人たちが少しずつ応援してくれるようになってくれたことは本当にクールなことだと思う。それに僕たちの成功が、若い世代の夢を後押し出来たらいいと思ってる。この業界で成功を掴むことは決して無謀なことではないということ、そして自分の好きなことを突き進んでいくことで可能性は広がることを知って欲しい。夢を叶える為にはビジョンをしっかり持って、努力しなければならないけれど、夢は本当に実現するということを知ってもらいたいのです。」
フィル・タヤグ インタビュー
ブルーノ・マーズとの出会い
フィル・タヤグを一躍メジャーへと押し上げたのは、歌手ブルーノ・マーズとの出会いでした。ある日、共通の友人を介して知り合ったブルーノから「Treasureという曲で、一緒に仕事をしてみないか」という連絡がきました。しかし当時ジャバウォーキーズとして活動が多忙を極めており、ブルーノ・マーズもツアーに出る直前だった為、2人のスケジュールが合わずこの話は一度は流れてしまいました。
「夢であったアーティストとの仕事をなぜ断ってしまったんだろう、もう二度と彼から連絡が来ないかもしれない」と諦めかけていた時、再びマーク・ロンソンとのコラボ曲「Uptown Funk」の振付をして欲しいと連絡がきたのです。すぐにブルーノ・マーズの元へ行ったフィルは、初めてレコードを聴いた時にヒットを確信したのだそう。
「この曲を聴いた時、まさにクラシックだと思いました。この曲は20年先まで、全ての結婚式で演奏されるような定番曲になると確信しました。人生最大の幸せな日を祝う時に最高の1曲だとね。」
フィル・タヤグ インタビュー
「Uptown Funk」はビルボードホット100で14週連続1位を記録する大ヒットを飛ばし、2016年グラミー賞では最優秀レコード賞を受賞、ミュージックビデオも数多くの賞を受賞し、ミュージックビデオは現在までに52億回再生されています。
「僕はダンス、メロディー、ファッション、歌詞は全て繋がっていると思っていて、その全てが重なって一つのアートが出来上がると思っています。それを表現できる人がマイケル・ジャクソンです。彼はその全てを一人で表現できる人。でもブルーノと仕事をするようになり、彼をずっと近くで見てきたけど、彼もマイケルと同じように自分で全ての事をこなして一つアートを作り出しているのです。」
フィル・タヤグ インタビュー
フィル・タヤグはこの年のスーパーボウルハーフタイムショーで、ビヨンセ、コールドプレイと共に出演したブルーノ・マーズのステージにダンサーとして参加しています。
「スーパーボウルに出演した時は、マスクなしでダンスするのは久しぶりでした。ステージに上がる数分前は緊張よりも「自分の顔をどうしたらいいんだ」と思いました。ステージでダンスすることはジェットコースターに乗っているような感覚と同じで、本当に一瞬で終わってしまうものです。」
フィル・タヤグ インタビュー
振付師として活躍
「Uptown Funk」が大成功を収め、その後も「24K Magic」「That‘s What I Like」「finesse remix」「Please Me」とブルーノ・マーズの曲の振付を担当。ラッパーのカーディBが参加した「finesse remix」の振付は、BETアワードとMTV ビデオミュージックアワードで最高の振付賞にノミネートされました。
2018年グラミー賞の「finesse remix」のステージではダンサーとして参加。このグラミー賞のステージ衣装の会議の際、ブルーノ・マーズから”スニーカーを使って会場を沸かすことができないか”という相談を持ちかけられたフィル・タヤグはナイキのスニーカーを履くことを提案した。予想は見事に的中し、ブルーノ・マーズがステージで履いたナイキのスニーカーは即日完売し、ブルーノ・マーズは新たなスニーカーヘッズと呼ばれるようになりました。
「スニーカーは元々ストリートカルチャーのものでしたが、いつのまにかポップカルチャーとして誰もが履くようになりました。でも僕らのようなダンサー達は、スニーカーの面白さをまだまだ活かしきれていないと思います。古い文化と新しい文化を上手く融合することで、より面白いものが作れると思っているのです。ニューエディションやニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックに僕は影響を受けたので、彼らに敬意を払いオマージュを捧げることで、何か大きな役割を果たしたいと思っています。」
フィル・タヤグ インタビュー
振付家からクリエイティブ・コンサルタントへ
「24K Magic」の大成功の後、2021年にアンダーソン・パークとのデュオグループ「シルク・ソニック」として活動をスタートさせたブルーノ・マーズ。その第一弾シングル「Leave The Door Open」のミュージック・ビデオには、フィル・タヤグもクリエイティブ・コンサルタントとして関わっています。この曲はビルボートチャートで1位を獲得し、BETアワードで最高のミュージック・ビデオ賞にノミネートされ、ブルーノとフィルの相性も健在であることを証明しました。