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長年ビヨンセのダンスキャプテンを務めるアシュリー・エヴェレット

ダンサー

アシュリーエヴェレット

常にビヨンセのすぐ後ろで踊っている赤髪のダンサーAshley Everett(アシュリー・エヴェレット)。ダンスキャプテンとして長年ビヨンセのステージを支えている彼女をご紹介!

ビヨンセのバックダンサーになるまで

アシュリーエヴェレット
※画像引用 : Ashley Everett Instagramより。

名 前Ashley Chrisha Marie Everett
(アシュリー・クリシャ・マリー・エヴェレット)
誕生日1989年4月19日
家 族父親 David Everett
母親 Christi Everett
兄妹 Michael Everett
Instagram@ashleycmeverett
Twitter@ashleycmeverett

母親がアフリカ系アメリカ人、父親が白人の間に生まれたAshley Everett(アシュリー・エヴェレット)は、3歳からダンスを始め、バレエ、ジャズ、タップ、ヒップホップ、社交ダンスなど様々なダンス訓練を受けてきました。

ダンスの技を磨く為、16歳でニューヨーク渡りアルビンエイリー・アメリカンダンスシアターに入学。そこでBeyoncé(ビヨンセ)の振付師フランク・ガトソン・ジュニアに出会い、ビヨンセの公開オーディションを受けることを勧められます。

オーディションに挑戦したアシュリーは見事合格。
この時まだ17歳、アルビンエイリー・アメリカンダンスシアターからジュリアードスクールへ移籍しようか悩んでいるタイミングでした。

“このチャンスは絶対に逃したくない”とアシュリーはスクールを辞め、ビヨンセのバックダンサーとして働き始めました。

ビヨンセのダンスキャプテンに就任

ビヨンセバックダンサー
※画像引用 : Ashley Everett Instagramより。

当時ビヨンセは2ndアルバム「B‘DAY」の収録曲のミュージックビデオを撮影しており、アシュリーは「GREEN RIGHT」「GET ME BODY」のミュージックビデオに出演。その後「B‘DAY」を引っ提げたワールドツアー“エクスペリエンスツアー”にも参加しました。

私はカリフォルニア州北部の小さな町の出身です。私にとって、ダンスがキャリアにならないという選択肢は決してありませんでした。将来、他に何も見えませんでした。その為には大都市に行かなければと思っていました。ニューヨークは私の人生の全てが起きた特別な場所です。17歳の時にビヨンセをオーディションを受けたことで、私の人生が180度変わりました。
ー アシュリー・エヴェレット インタビュー ー

ビヨンセバックダンサー
※画像引用 : Christi Everett Instagramより。ホワイトハウスにてオバマ前大統領と。

2009年19歳になったアシュリーは、ビヨンセのバックダンサー達をまとめるダンスキャプテンに就任し、ビヨンセの3枚目のスタジオアルバム「I Am Sasha Fierce」の“アイ アム..ワールドツアー”に参加。ビヨンセから髪の毛を赤く染めたらどうかという提案で、赤髪として活動し始めたアシュリーは、ビヨンセファンの間からも認知されるようになり彼女のトレードマークになっていました。

Ashley Everett
※画像引用 : Christi Everett Instagramより。

2011年21歳の時に拠点をニューヨークからロサンゼルスへと移し、グラミー賞やスーパーボウルなどに多くのTV番組やステージに出演。多忙を極める中、ビヨンセの5枚目のスタジオアルバム「BEYONCÉ」を引っ提げたワールドツアー“ミセスカーターショー”では全132公演のショーのヘッドダンスキャプテンを務めました。

ミセスカーターショーが終了してから2か月後、アシュリーはアッシャーのURエクスペリエンスツアーにも参加していましたが、ジェイZとビヨンセの共同スタジアムツアー“オン・ザ・ラン ツアー”のリードダンスキャプテンに任命。全てのツアーには参加出来ませんでしたが、ダンスキャプテンとして大きな役割を果たしました。

アシュリーエヴェレット
※画像引用 : Christi Everett Instagramより。スーパーボウル・ハーフタイムショーにて。

2016年2月アシュリーはスーパーボウル・ハーフタイムショーで、ビヨンセとブルーノマーズ、コールドプレイの共同ステージに参加。このスーパーボウル・ハーフタイムショーは1億1550万人に視聴され、ショーは大成功を収めました。

Ashley Everett
※画像引用 : Ashley Everett Instagramより。コーチェラステージにてビヨンセの左側がアシュリー

その後もビヨンセの6枚目のスタジオアルバム「Lemonade」を引っ提げた“フォーメーションツアー”に参加。49日間​​のオールスタジアムツアーというハードスケジュールでしたが、アシュリーはこのツアーでもダンスキャプテンを務めました。

ビヨンセのステージでプロポーズ

Ashley Everett
※画像引用 : BEYONCÉ Instagramより。

アシュリーが21歳の時、NE–YO(ニーヨ)のバックダンサーとして活動していた時期に出会ったダンサーのJohn Silver(ジョン・シルバー)氏と6年間の交際期間を経て、2016年26歳の時に婚約。

何とプロポーズはビヨンセのステージの上でした。

2016年は私にとって濃厚な1年でした。ビヨンセのツアーの準備をしている時にに、個人情報が盗まれ、多額の金銭の被害に合いました。プライバシーの侵害だったので、本人証明を届けなければいけないことが多く、私にとって本当に大変でした。でもその年の秋にプロポーズされました。私の人生の最悪の年であった同時に、私の人生で最も幸せな瞬間の出来事が同時に起きて、ジェットコースターに乗っているような気分でした。
ー アシュリー・エヴェレット インタビュー ー

華やかなプロポーズから3年後、残念ながらは2人は婚約を解消。
アーティストのツアーなどで世界中を飛び回る生活を送っていた2人は、婚約から時間が経つにつれ「自分は結婚がしたいのか、本当に彼と結婚したいのか?結婚する前に何かしなければいけないことが他にあるのではないか​​?」と自問自答を繰り返すようになり、徐々に距離が離れてしまったとか。

アシュリーエヴェレット
※画像引用 : BEYONCÉ Instagramより。1番右がアシュリー

ビヨンセは貴重なステージの時間をわざわざ私達の為に割いてくれたのに、この結末に多くの人をガッカリさせてしまったのではと考えてしまうことはあります。でも人生には様々な事が起きます。私は控えめタイプなので、記念日に花びらで埋め尽くされるような部屋を用意されるより、小さなバラが1つあるだけで満足なんです。今振替ってみると、あのプロポーズは世界の前で愛を証明する素晴らしい演出でしたが、もっとお互いの絆を深めていたらあのタイミングであのような婚約はしなかったと思います。
ー アシュリー・エヴェレット インタビュー ー

現在は新しい恋人Jay Burton(ジェイ・バルトン)とラブラブのアシュレイ。SNSでも仲睦まじい様子が度々UPされています。

ブランドを立ち上げ

アシュリーエヴェレット
※画像引用 : Phae Instagramより。

友人と共にスイムウェアブランド「Phae」、そして恋人と共に心とオーガニック健康食品「CACHET(キャシェット)」を立ち上げ、実業家としても顔も見せています。

Phae
HP : https://www.phaedesign.com/
Instagram : @phaedesignCACHET
HP : https://www.cachetbrands.com/
Instagram : @cachetbrand

女優に挑戦

アシュリーエヴェレット
※画像引用 : Hit the floor Instagramより

2015年に放映されたプロバスケットを舞台にしたスポーツドラマ「ヒット・ザ・フロア」の第3シーズンに出演、女優業にも挑戦。着実にキャリアを広げています。

ダンサーとしてだけでなく、これから女優としての活動も楽しみですね。